『車輪の国、向日葵の少女』−「大人はみんな汚い」のテーゼ

車輪の国、向日葵の少女 通常版

車輪の国、向日葵の少女 通常版

人を好きになれること 時間が平等であること 親が幸福であること
――――――それぐらい望んでも いいじゃないですか?

友人のエロゲマイスターK君(仮)から夏頃に借りた作品を今になってようやくクリアしましたが、年内に終わらせるために若干急いで読んだこともあり、非常に疲れました。内容がまたしんどい。
「重たい話」と言う人もいますが、そんなことはありません。もっともっと残酷で救いがなくて読了後にマリアナ海溝の底まで沈んでいきたくなるほど重い話なんていくらでもある。僕が「しんどい」という理由は、物語の「山」がやたらと多いため。物語を読み進めてピークを越えたと思ったのに、全然話が落ちない。一気に読むには辛い話でしたね。


さて、この物語の世界では理不尽としか思えないルールが当たり前のように存在しています。自堕落な少女には「1日が12時間しかない義務」が、不安定な家庭で育った少女には親権者の命令を強制される「大人になれない義務」が、異性をたぶらかした(古いな)少女には「恋愛できない義務」が申し渡され、破れば即座に強制収容所送り。で、主人公たちは思うわけです。「この社会はおかしい!」
先日、最終回が放送された『Myself;Yourself』というアニメは「大人はみんな汚いよ!」と叫んでネバーランドに逃げていくお決まりのパターンを地で行く展開でしたが、あそこまでベタベタなのも珍しいですけど、少年少女が大人の社会に異を唱える、というのは頻繁に見られるテーマです。
割と昔の作品だと、少年が社会から逃げ出して、抵抗して、結局は敗北するというのがお決まりの展開であり、それがあの年代の「リアル」だったのだろう、と思います。『世界ノ全テ』という作品はその典型ですね。ヒロインを助けるんだ!と息巻いて結局何も出来ない弱さがすごくリアル。
最近ではそういうのが少なくなって、むしろ少年少女の側の「汚い」ところを見せつけたり、主人公がやたら達観していたりと、大人の社会を前提として受け入れる場合が多いように思われます。
車輪の国、向日葵の少女』の場合、この辺のポジションが非常に曖昧です。主人公がそもそも義務を押し付ける立場であり、また、第2章ではその義務によって怠惰な少女を更生させているわけで、特殊な社会を前提条件として受け入れているように見える。しかし、物語の終盤には主人公も「この社会はやっぱりおかしい!」と否定する立場に回るわけですが、窮地に陥った主人公たちを救い、ハッピーエンドに導くのは「特赦」という、社会が与える温情に他ならないわけで……


おそらく、この物語が示したかったのは通俗的な社会批判ではなく、知識の多寡、決断力、社会的地位といった「わかりやすい」価値観を越えたところにある人間の尊厳だったのではないかな、と思います。文章にすると陳腐ですが。
あるヒロインは本当の両親と育ての母、どちらかを選択することを強いられます。どちらか片方を捨てなければならない、と言われた彼女はいつまでも悩み続ける。それを見た決断力抜群の主人公は心の中で「俺が彼女を何とかしなくては」と思うわけです。
けれども実は、主人公が早々と片方を諦めるくらい意志が弱かったのに対して、彼女はどちらも守ろうとする強い決意を持っていたわけです。そのことに気付いた主人公は、金持ちで文武両道で決断力抜群な自分と対比させながら、その全てを持たない彼女の中に大きな価値を見出します。
この辺、『ef』や『君が望む永遠』などをプレイして、選択しないことの残酷さを見せつけられた者としては非常に複雑。男性キャラだったら許せないだろうなぁ。誰も選ばないならハーレムでも作るしか……と思ったら、実際に作ってる。


ただ、ヒロインたちの決意、社会通念に依らない倫理性を描く一方で、その決意や倫理は社会の温情によって生かされている。ある意味、主人公やヒロインたちは社会に対して永遠に負け続けているわけで、この物語は悲劇なのではないか、と思った次第。


参考URL
http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/himawari.html
ASTATINE:「車輪の国、向日葵の少女」評。
参考作品

Myself ; Yourself Vol.1 [DVD]

Myself ; Yourself Vol.1 [DVD]

世界ノ全テ

世界ノ全テ

何故か思い出した作品
Fate/Stay night DVD版

Fate/Stay night DVD版