議論は始まる前から終わっている

ある美術史家の言葉。
「学会では絶対に『美しい』って言っちゃダメなの。主観だから」
あるアニオタの言葉。
「『らき☆すた』は面白い?つまらない?」
再度、美術史家の言葉。
「ただ、『美しい』と感じることは研究の動機として重要だよね」
再度、アニオタの言葉。
「『らき☆すた』はつまらない作品である。なぜなら……」
森博嗣の言葉。
「本当のところ、研究とは、何を研究したら良いのかを見つければ、峠はもう過ぎていると考えても良いくらいだ」


テーマ設定を間違えた議論はどう頑張っても厳密にはなり得ない、という話。その他、くだらない議論に見られる5つの特徴を挙げておきます。
ひとつはErlonigさんがおっしゃっているように、論者の立場が不明確なこと。
ひとつは作品の受け手を同じ集団として扱う、あるいは「パロディがわかる/わからない」など、分類方法が極めて大雑把であること。
ひとつは作品の見方の幅が狭く、自分とは全く異なる見方をしている人がいることに想像が及んでいないこと。例えばキャラクタとあらすじの話しかしない(出来ない)人のこと。
ひとつは反対意見を相対化して、自分の意見だけは信じて疑わないこと。
ひとつは「仮に〜だとしたら」から論が出発し、その「仮に」が解消されないまま終わること。


僕の場合、修行をかねて自分の嫌いな作品についても記事を書くようにしていますが、好きな作品についての記事と比べるとやはりレベルがガクッと落ちます。


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