少女革命ウテナ

傑作以外の何物でもない。
いきなり字が大きいですけど、本当に言いたいのは上に書いたことだけです。文句なしに歴史に残る傑作なので、未見の方はぜひ見てほしいと思います。そこで何がおこったのか、誰が、何を語り、結果としてどうなったのか。それらのことが理解できなかったとしても「新しさ」だけは感じてもらえるのではないかと思います。
絵柄は古くなっても、作品にこめられた理念だけは古くならない。その理念を知ることが「古典」と呼ばれる作品を見る魅力ではないでしょうか。その意味では、ウテナは「古典」と呼ばれる価値があります。
演出単体についての評価は前回の記事に書いたのでそちらを参照してください。今回は演出と共にストーリーについて言及します。

少女革命ウテナ L’Apocalypse:8 [DVD]

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ジェンダー論の側面から語られることの多いこの作品。確かに、主人公のウテナ男装の麗人、と従来の制度に束縛されない人物として描かれているのに対し、もうひとりの主人公アンシーはウテナに依存し、自己を持たない囚われた女性として描かれています。
そして、アンシーは最終的に自立する道を選びました。この点では女性の自立を賛美する物語だった、と言うことも可能でしょう。しかし、物語レベルにおいてもうひとつの自立が描かれていたことも見逃せません。この話は「王子様とお姫様」の物語からウテナが解放される過程でもあったのです。

「やっぱり僕は王子様になれないんだ。ごめん、姫宮…王子様ごっこになっちゃってごめんね」

白馬に乗った王子様が囚われのお姫様を救い出す、その王子様がウテナという女性であったことに意味は見出せるでしょう。しかし、それでは単に男性と女性との役割を入れ替えただけで、与えられた役割に囚われているという点では変わりありません。そこから一歩進めて、役割を与える物語そのものを否定してしまう、そこに「少女革命ウテナ」が出した新しさがあったと思います。


「物語に対する否定」はただ主人公たちによるものだけでなく、他の登場人物たちにおいても行われていました。物語のカタチは様々でしたが、誰もが物語と現実とのギャップに苦しみ、剣を取りました。しかし、ウテナ自身が終盤まで物語から解放されていないのだから、彼女は救いを与えることが出来ません。ただ、戦いに勝つだけで誰も救われない。その辺が何ともやるせない感じですね。


以上のように考えると、過度に芝居がかっていた演出にも意味があったように思われます。ある意味ではリアリティの対極にある演出は「これは物語である」とあえて主張することで、ウテナたちが物語に囚われていることを強調していたのかもしれません。
演出とストーリーが絡み合い「物語」を作り出す、アニメの見本みたいな作品だと思います。
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