Kanon(2006)

「おい真琴、風邪引くぞ。帰ろうぜ。おまえは俺たちの家族なんだから……」

京アニKanonを8話まで見ました。今のところは特に目立って大きな事件もなく、終盤に向けて伏線を張っている段階、という感じ。では、面白くなるのは終盤からで、今は全然面白くないのかといえばそんなことはない。非常に面白いと言えるでしょう。

しかし「京アニKanonは淡々としすぎ」という批判もあるみたいです(リンク)

確かに、少なくとも現時点(8話)まで見た限りでは的外れな批判ではありません。けれど、淡々としていることが悪いとはどうしても思えない。物語に山場がない、と批判するのは「楽しみなのはオチだけだ」と言っているようなものだ、と僕は思います。

そもそも、物語の力というのはオチ(だけ)にあるのではなく、見たり読んだりしている最中、思考が唐突に静止してしまう、そんなエラーかバグのようなものではないでしょうか。

少しネタバレになりますが、7話で、真琴が手に抱えていた子犬を突然歩道橋から道路に落とすシーンがありました。冷静に考えると、整合性が全然なくてメチャクチャなのですが、あのシーンからは物語の「力」を感じます。静かになり、ゆっくりと遠ざかる子犬の姿。音楽や作画が一体になってあの物語は作られているのです。

そういった理由から、僕は安易に「作画」や「演出」の要素を物語から切り離すことに対して反対する立場をとっています。だから、「kanonは、作画は良いけど物語としてはだめだ」みたいな言説には納得できません。美しい作画や演出によって、何気ない日常が「物語」として力を得ることがある。それだけは強調しておきたい。

サリンジャーの小説を読んで「何も起こらないぞ。つまんねー」みたいな批判が多く見られたので、ちょっとだけ言及してみました。

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