レビュー・ひぐらしのなく頃に

ひぐらしのなく声に混じって、色々な音が聞こえてきます。

「レビューなんて偉そうに。お前はゲームの神様か?それともロマンスの神様か?」
いやはや、全くその通りだと思う。そうやってお金を稼いでいる人がいるなんて信じられない、とは全然思っていないが、みっともないことだとは思う。しかし、みっともなくない仕事がひとつも思いつかない。仕方がないので「にぱ〜☆」と笑って誤魔化そう。
前置きはおしまい。文体も変えてフランクにいきます。
ひぐらしのなく頃に」という長い長い物語は最後の「祭囃し編」に到達し、昨日それすらも完結しました(全部で50時間かかったよ)。正直言って、この物語が何を訴えたかったのかは、あまりに明確すぎて特に言うことがありません。気になるのならやってみましょう。レビューなんて必要ありません。ここではネタバレを回避(したつもりになり)つつ、技法および創作思想について論じていきます。
以前にも何度か「ひぐらし」を取り上げましたが、そこでは暗に「ミステリではないのでは?」とほのめかしてきました。確かに「ノックスの十戒」にあるような、基本的なルールに違反しているという意味では、ミステリではありません(どうでも良いことですが)。
しかし、物語が完結した今、それは半分正解で、半分間違いであると気づきました。
考えるべきは、何が問題であったのか、そもそも何を考えるべきなのか、ということだったのです。
「読者への挑戦状」を思い出してみましょう。そこでは何を考えるべきなのかが明示されています。例えるなら古典ミステリは高校生の夏休みの宿題であり、「ひぐらし」は大学生の宿題です。もちろん難易度の違いではなく、大学生の場合は論題の設定からはじめなくてはいけないという、出発地点の違いという意味で。
ひぐらし」が隠していたのはまさにこの点でした。全てクリアした人はもういちど考えて見ましょう。どうしてデジタルノベルの利点を放棄してまで話の順番を固定したのか?どうして「罪滅し編」より「目明し編」が先に来ていたのか?
もし「ひぐらし」を終えてなお思うところがあるのなら、ディクスン・カーの「火刑法廷」か、森博嗣の「笑わない数学者」を読んでみてはどうでしょう。あ、これって2重のネタバレですね。すいません……。
最後に少しだけ文句をつけるなら、「解」に至るまでは明らかな伏線不足です。展開を読みきったあなた、メタになりすぎ。一度深呼吸をして頭を真っ白にすることをお勧めします。