本棚のない生活

時間がないので取り急ぎ。
コーヒー代とコピー代による財政圧迫が激しい今日この頃。「本棚のない生活」を提唱する自分は、コピーした論文や雑誌をすべて机と椅子の上に積んでいます。うん。冷静に考えるまでもなく、机と椅子が本棚の代わりになっているだけですね。「ものを捨てる」という決定的な才能がないことが問題なのでしょう。
いっそのこと、あと10年くらいこのままレジュメを重ね続けて地層を作り、考古学者に解析してもらうのを期待しようか。「ここからここまでが平成時代のレジュメで〜」。そういえば、あと何年くらい経てば「昭和時代」と言うようになるのでしょう。
話は変わりますが、批評論が盛んなようです。まあ、僕は他人の一般論に全然興味がなくて、個別作品論以外は参考にしないため関係のない話ではありますが。自分の書いたものにしても、やっぱり個別作品論に愛着がある。ブクマの数には比例しませんけど(アクセス数には比例する)。批評だって1つの創作なのだから、理論家に留まってはいけないと思うのですよ。
それと関連して、批評家が作品の作り手じゃないというのは、正しくもあり、間違いでもあると思います。どんな作品でも全てがオリジナルというわけではなく、いろいろな作品のモチーフやテーマを中に織り込んでいるわけでしょう。それと同様に、批評という作品もまた作品の中に織り込まれ、読者に影響を与えていく。その点では広義の作者と言えなくもないのでは、と。ただ、狭義の作者に対する敬意がない批評は読むに耐えないことが多いですけどね。経験則なので根拠はありません。
今夜も飲み会なのでここまで。明日もいろいろありますが、「若さとは振り向かないことさ!」ということで。