「発声写真の失敗 神田館のはクロノホン」(『小樽新聞』1914年3月23日)
札幌の映画館「神田館」では横浜から発声写真機(=発声映画=トーキー)を取り寄せ、特別興業を行う予定であった。しかし取り寄せた発声写真機は、エジソン発明の「キネトホン」であるはずが、フランスのゴーモン社発明の「クロノホン」、つまり詐欺にあったことが判明した。

元来我国に発声写真の輸入されあるもの三種あり即ち最も輸入せられしは今回神田に来れる仏国ゴーモン会社の「クロノホン」次は昨年東京浅草ルナバーク内みくにて紹介せられし「アンマトホン」及び最近東京に紹介せらたる〔ママ〕エゲソン氏発明の「キネトホン」にして〔中略〕「キネトホン」は発声器に蝋管を使用し居るを以て美氏の点まで発生し前者に比しやや進歩せるものの由なるが目下其「キネトホン」は大正博覧会余興場に於て開演中なり

キネトホンの発明は1913年。その翌年には日本に輸入されたことになる(記事中の「大正博覧会」は1914年3月20日から開催中)。ただし日本においてトーキーが商業化されるのは1920年代後半以降のことである。大正博覧会で披露されたものがいかなる内容であったかは不明(おそらくストーリー性のないショートフィルムだろう)。
日本においてトーキーはなかなか定着しなかったと言われるが、「アンマトホン」「クロノホン」など様々な種類の機材が輸入されていたことが本記事からは伺える。

出久根達郎『雑誌倶楽部』

私は雑誌が好きだ。本よりも断然雑誌派である。飽きっぽい私にとって、雑誌はいろいろ書いてあるところが良い。ひとつの記事を読んでいて、おもしろくなければ次の記事、次の記事、と飛ばし読みすることができる。雑誌はすぐ手に入らなくなってしまうが、それもまた雑誌の良さだ。雑誌のなかでも特に古雑誌が好きだ。10年後、100年後の人々にも読まれることなど雑誌は想定しない。そんな想定をあえて無視し、古雑誌を探して買う。後世に残すつもりがないからこそ、雑誌が書かれた当時の「今」がそこに詰め込まれている。
……などと普段から考えている私にとって、本書『雑誌倶楽部』は中々興味深い内容でした。

雑誌倶楽部

雑誌倶楽部

本書の内容は大正から昭和50年ごろまでの各種雑誌を(年代順でも、テーマ別でもない、それこそ「雑誌」的な詰め合わせ方で)紹介していくもの。『文芸春秋』『キング』『宝島』などのメジャーどころから、『新青年』『大衆文芸』などの文芸誌、『旅』『家の光』などPR雑誌、『実話雑誌』『犯罪科学』『丸』などの実録もの、『主婦之友』『婦人公論』などの女性誌、と幅広く取り上げられています。雑誌の成り立ち、編集者の来歴などを詳細に記述するの「ではなく」、雑誌に掲載された広告、写真、見出しのつけ方といった細かな部分に関心が向けられており、豆知識的な話が多いです。この本自体が雑誌っぽいというか。
戦後の『実話時代』なる雑誌を取り上げた部分では、著名な切腹(の歴史に関する)研究者である中康弘通氏が『実話時代』の読者欄で資料の提供を呼びかけていたことが書かれています。90年代ごろまでは「在野の歴史家」とでも言うべき人が多くいたのですが、そうした人々はこうした雑誌を利用して独自のネットワークを築き、資料を集めいたのではないか。そんなことを想像させられました。
あと興味深い部分をいくつか。

お手伝いさんの給料がどれほどであったか、明記された資料がなかなか見つからなくて、往生したことがあったが〔中略〕何のことはない、『婦人之友』のバックナンバーに当たればよかったのだ。実に正直な数字が、並んでいる。これで見ると、昔はお手伝いさんが習う裁縫の月謝は、主人持ちであったようだ。p105

積ん読」という言葉が、徳川時代に作られた洒落だ、と教えられたのが唯一の収穫である。〔中略〕教えてくれたのは、歴史学者尾佐竹猛、ヨタとは思われぬ。何しろこの人、本職が現代の最高裁判所に当たる大審院の判事なのである。p213-214

広告に関しては、昭和12年の『新青年』に掲載された「生殖器短小」「機能障害」を「真空吸引力と水治法」によって改善させる機械の広告がおもしろかったです。よく考えると、これって昔流行った(?)女性の胸を大きくする機械と同じ仕組みではないでしょうか。定期的に同じようなことを考える人が出てくるのか、それとも単純な応用なのか……。寡聞にして効果があったという話は聞かない。

「女学生の新しい心理傾向 夫婦共稼ぎといふ覚悟」(『東京日日新聞』1914年3月20日)
記事では学校名が伏せられているが、成女高等女学校の校長・宮田修へのインタビュー記事。最近の女子学生について、宮田は次のように述べている。教育者から見た当時の女学生の実態について興味深い話が続くで、半分くらい引用してしまう。

卒業後の理想に於ても従来はつまらない虚栄と云つたやうな謂はば戦争時代には軍人の妻になりたいとか、将た外交官夫人になりとか云ふやうな身分不相応な考えを持つて居ましたが、今では夫婦は共稼ぎをしなければならぬ者と云つたやうな考へを浮べるやうになりまして

青鞜社に集った「新しい女」の影響と、「新しい女」では(文筆業を仕事とした青鞜社とは異なり)生計が立てられないという認識について。

新しい女に就いてですか、夫は別に彼等所謂新しい女の平塚とか尾竹と云ふ女に対しては見習はうとはしませんが新しい考へには向つて居る様です〔中略〕現代の「新しい女」では生活が出来ないと考へて居るらしいです。

女学生間での文通について。

手紙交換の御話ですがかそれは確に女学生間にはあります。〔中略〕手紙交換の最も激しいのは三年頃です。それは少し世の中の事情でも判るやうになつて情の上にも多少の変化が来てセンチメンタルになつて来て居るから其の感情を何うにかして発表しやうと思つても自分より遠い父母とか目上の者には打明けるわけには行かないから遂に友人に打明けるやうになります。〔中略〕私の学校でも斯う云ふ事がありましたので露骨に責めずに一方倹約と云ふ意味で戒めた事もありました

「亭主は半陰陽 同性の婚姻は無効」(『新愛知』1914年3月18日)
半陰陽は両性具有、インターセックスとも呼ばれる。詳細はwikipediaを参照。
半陰陽 - Wikipedia
三重県の財産家・某氏は結婚しており息子もいたのだが、某氏が男女両性であると噂されていた。この年(1914年)の某氏の死後、親族は遺体を解剖し、某氏が「表面上一見男子の生殖器を備へ」ており当人も男性としての性自認を持っていたが「二の乳房及び骨盤、生殖器の組織は全く女性」であり、某氏の息子も妻の姦通による私生児であると主張。裁判所に「同性間には婚姻成立すべきものにあらず」、某氏と妻の婚姻は錯誤に基づく契約であり無効であると訴えた。
財産相続上の争いが主たる原因であると考えられるが、某氏自身の性自認がまったく無視されていること、裁判所もまた親族の訴えを認めていることなどが注目される。

「社会問題と貧富の懸隔(上・下)」(『愛媛新報』1914年3月17日)
執筆者は早稲田大学教授の永井柳太郎。永井はのちに政界入りし、民政党親軍派の中心人物として大政翼賛会の結成にもかかわった。この記事で永井は、「現代の文明」のもとで国富が著しく増大したにも関わらず、それが大資本家や大地主のもとに集中しており、労働者や小作人は苦しい生活を強いられていると述べている。小資本家が大資本家と競争することは困難であり、そのため小資本家はトラストの中に組み込まれる。機械工業の発達は農民の副業に打撃を与え、彼らは土地を手放さずを得なくなる。
「現に村会議員の選挙権所有者は我国に於ける中等農民を代表するものなるが其村会議員の選挙権を有するものの数は年々減少しつつあるは確かに此間の消息を説明するものと云ふべし」。
このような資本主義に対する批判的見地と、永井がのちに社会改革の担い手として軍部に期待を寄せ民政党親軍派の中心になっていくことの間には、何らかの関係があるのではないだろうか。
もうひとつ重要だと思われるのが、永井が早稲田大学で「植民学」を教えていたということである。
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/17493
「内に立憲主義、外に帝国主義」とは大正時代の思想傾向を示すフレーズであるが、「外」の植民地で行われた社会改良と、「内」の本土で行われた社会改良はおそらく無関係ではない。

秋田県の大地震」(『東京朝日新聞』1914年3月16日)
出来事の概要については秋田仙北地震 - Wikipediaを参照。
地震が起こったのは3月15日。翌日の報道では死者45名、家屋全壊251棟。さらにその翌日(17日)には死者83名に増えています(最終的には94名)。これだけの死者が出ているにも関わらず、紙面に割かれているスペースはさほど大きくないのが不思議です。

‎久住昌之・谷口ジロー『孤独のグルメ』

孤独のグルメ (扶桑社文庫)

孤独のグルメ (扶桑社文庫)

本棚に『孤独のグルメ』を置いているサブカル野郎は高確率で『ジョジョ』が好きで、うっかり話しかけると『ジョジョ』のどうでもいい薀蓄を聞かされるぞ逃げろー!というひどい偏見を持っていたので、読むのは今回が初めてです。
食堂、居酒屋、デパートの屋上と色々なところで主人公・井之頭五郎が食事をする。店内の風景や客層、食事の内容について五郎が(解剖学者のような口調で)感想を述べる。基本、これだけの漫画です。ときおり食事を終えた五郎が浮かべる「ヘヴン状態!」みたいな表情が最大の見どころでしょうか。あと、散々ネタにされていますが、詩的なようで詩的じゃない比喩のセンスが笑えます。
「ここでは青空がおかずだ」(デパートの屋上でフランクフルトを食べながら)
「うおぉン 俺はまるで人間科学発電所だ」(工業地帯の焼肉屋で)
あと、理路整然としていない素朴な心情であるだけに何言ってるのかよくわからない独白も。
「しかし…まあいいけどやはり焼きそばと餃子だけだと なんとなく堂々巡りしているようだ」(中華料理屋にライスが置いてなかったとき)
結構面白く読めたのですが、途中、五郎の過去の回想シーン(昔の恋人の話とか)が出てくるのは余計だと思いました。目の前の食事を丹念に描いていく本筋から浮いてしまっているという印象。